宮上周晴のお悩み解決 Lifeplanner Value ソニー生命 宮上 周晴

ライフプランナー 宮上 周晴 プロフィール

宮上周晴のモットー お客様をとことん大切にする

学生時代スポーツに明け暮れる毎日、 苦労して入学した東京大学教養学部。 大学卒業後は、大手予備校塾の講師に
10年の講師経験を経て、
現在ソニー生命のライフプランナーへ。

一生をかけて決意したこの仕事で、 お客様の笑顔を一つでも多く増やせる ことを切に望んでこれからも努力を 重ねてまいります。

ソニー生命 ライフプランナー

宮上 周晴

誕生

・昭和49年4月6日 大阪府茨木市に生まれる

3歳年上の姉との2人姉弟。

・4歳の頃、大阪府吹田市に転居。団地暮らしが始まる。

第2時ベビーブーム世代の子供で溢れかえる千里ニュータウンで育つ。
当時は可愛らしかったらしく、しばしば女の子と間違われる。

小学校

・ピアノを習い始める(中2まで)

姉の影響ではじめたが、やればやるほど似合わなくなり、中途半端でやめる。
だが今となっては、もう少し続けておけばよかったと思える。

・スイミングスクールに通う(小6まで)

体力自慢になれたのは、ひとえにこの6年間のおかげである。
今でも水泳は得意。

・ソフトボールチームでセンター4番を務める

ただし、小4くらいまでは大変ダメな選手で、ライトで8番であった。
水泳の成果もあってか、小5くらいから急に運動が得意になり、ついに4番となる。

・勉強は宿題以外ほとんどやらず、大いに遊んでいた。

ファミコン世代でもあったため、よく人気ゲームに熱中していた記憶がある。

中学校

地元の公立中学に通う。

相変わらず勉強は二の次であったが、試験前になるとむきになった。

・軟式テニス部に入部。

当初は野球部に入る予定であったが、幼馴染に誘われて決意。
これが未だ続くテニスとの縁の始まりであった。
訳あって1年から主将となり、試合中の大声で北大阪の有名人になる。

・2年次に生徒会長に就任。

当時の母校には不良の一大勢力があったが、恐れを知らず矢面に立つ。
結果、先輩の番長に大変気に入られ、漫画のような男の友情を育む。
人のあり方、心のあり方について大いに学ばされた。

高校

・大阪府立茨木高校入学。


・軟式テニスを続ける。自分でも意外であったが、続けてしまった。

近畿大会に出場するが、インターハイの夢は敗れる。

・体育委員長を務め、伝統の夜行登山行事を運営する。

明治時代から続く、全行程約50kmの登山であった。

・友人たちのバンドに誘われ、文化祭でキーボードを担当する。

小室哲也の真似をさせられるが、もちろん似合わなかった。

大学

・部活その他に明け暮れたつけで、一年の浪人生活となる。

家の経済的事情から予備校に通えなかったが、結果的にマイペースにできて良かった。

・東京大学教養学部文科三類に入学し、上京。

三鷹市の寮に入る。前年に立てられたばかりのきれいな寮で嬉しかった。

・後に文学部英米文学科に進学。専攻はアメリカ文学。

卒論が英語必須であったため、非常に苦労したが頑張った。

・運動会軟式庭球部に入る。

東日本学生選手権で団体ベスト8が最高の成績。
最後まで、大声では有名であり続けた。

・塾・予備校講師のアルバイトを始める。

中学・高校・大学すべての受験生、科目もほぼすべてを担当。
もともと生活のためであったが、大変熱くのめりこんでいく。

・国内を夜行列車・夜行バスなどで巡る。

今でも国内の移動はどこでも苦にならない。
日本中の名物を味わい尽くすのが夢の一つ。

その後

・マンツーマン指導形式の塾・予備校を本拠地として、プロの講師となる

生徒だけでなく、ご父兄とも深く関わる中で、人生に関わる仕事の意義を強く感じる。
セミナーでの公演や教材の製作、受験情報分析など、幅広い業務に関わる。
今でも受験に関しては、新しい情報もしっかりと吸収するようにしている。

・軟式テニスは大学のOBチームで続ける。

近年は硬式をやる機会も増え、最近はむしろ軟式より自信がある。

・教育の仕事により専念していく中で、より深く一生に貢献する仕事を求め始める。

受験で家族が一つになることの素晴らしさを感じる反面、
受験が終了すれば終わりになる人間関係を残念に思う気持ちが高まる。

・自分の思いを最も反映させることのできる場を求め、転職を決意。

熟慮の末、ソニー生命保険株式会社に転職。
お客様をとことん大切にする、その姿勢、理念に共感しての決断でした。
現在、一生をかけて駆け回る日々。
生涯ライフプランナーの責任を果たし続けるため、さらに努力を重ねている。