学生時代スポーツに明け暮れる毎日、
苦労して入学した東京大学教養学部。
大学卒業後は、大手予備校塾の講師に
10年の講師経験を経て、
現在ソニー生命のライフプランナーへ。
一生をかけて決意したこの仕事で、 お客様の笑顔を一つでも多く増やせる ことを切に望んでこれからも努力を 重ねてまいります。
ソニー生命 ライフプランナー
宮上 周晴
3歳年上の姉との2人姉弟。
第2時ベビーブーム世代の子供で溢れかえる千里ニュータウンで育つ。
当時は可愛らしかったらしく、しばしば女の子と間違われる。
姉の影響ではじめたが、やればやるほど似合わなくなり、中途半端でやめる。
だが今となっては、もう少し続けておけばよかったと思える。
体力自慢になれたのは、ひとえにこの6年間のおかげである。
今でも水泳は得意。
ただし、小4くらいまでは大変ダメな選手で、ライトで8番であった。
水泳の成果もあってか、小5くらいから急に運動が得意になり、ついに4番となる。
ファミコン世代でもあったため、よく人気ゲームに熱中していた記憶がある。
相変わらず勉強は二の次であったが、試験前になるとむきになった。
当初は野球部に入る予定であったが、幼馴染に誘われて決意。
これが未だ続くテニスとの縁の始まりであった。
訳あって1年から主将となり、試合中の大声で北大阪の有名人になる。
当時の母校には不良の一大勢力があったが、恐れを知らず矢面に立つ。
結果、先輩の番長に大変気に入られ、漫画のような男の友情を育む。
人のあり方、心のあり方について大いに学ばされた。
近畿大会に出場するが、インターハイの夢は敗れる。
明治時代から続く、全行程約50kmの登山であった。
小室哲也の真似をさせられるが、もちろん似合わなかった。
家の経済的事情から予備校に通えなかったが、結果的にマイペースにできて良かった。
三鷹市の寮に入る。前年に立てられたばかりのきれいな寮で嬉しかった。
卒論が英語必須であったため、非常に苦労したが頑張った。
東日本学生選手権で団体ベスト8が最高の成績。
最後まで、大声では有名であり続けた。
中学・高校・大学すべての受験生、科目もほぼすべてを担当。
もともと生活のためであったが、大変熱くのめりこんでいく。
今でも国内の移動はどこでも苦にならない。
日本中の名物を味わい尽くすのが夢の一つ。
生徒だけでなく、ご父兄とも深く関わる中で、人生に関わる仕事の意義を強く感じる。
セミナーでの公演や教材の製作、受験情報分析など、幅広い業務に関わる。
今でも受験に関しては、新しい情報もしっかりと吸収するようにしている。
近年は硬式をやる機会も増え、最近はむしろ軟式より自信がある。
受験で家族が一つになることの素晴らしさを感じる反面、
受験が終了すれば終わりになる人間関係を残念に思う気持ちが高まる。
熟慮の末、ソニー生命保険株式会社に転職。
お客様をとことん大切にする、その姿勢、理念に共感しての決断でした。
現在、一生をかけて駆け回る日々。
生涯ライフプランナーの責任を果たし続けるため、さらに努力を重ねている。